どのような様子だったか?
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ほぼ毎日、貸金請求事件の対応をしていました。
知人と取り決めたことを守るために、知人が頼んできたことに協力するために一人で、もがいていました。問い合せ、調べもの、記録・整理等、何かしら毎日していました。
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自分の将来に向けての取り組みができませんでした。
知人とコミュニケーションが取り合えない毎日でした。そのため、私自身の予定も立てれませんでした。
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身内に気遣いができなくなりました。
2014年から、知人と連絡が取れないことで苦しんでいました。そのため、祖母のことを気にかける余裕がありませんでした。長いこと合わない状態で、2015年に会えなくなりました。ストレスで体調を崩していたので、葬儀にもでれませんでした。また、父とは、ほとんど会話しないまま、2016年に永遠に会えなくなりました。そのことが今でも父に申し訳なく思っています。
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人付き合いができなくなりました。
周りに気遣いができなくなりました。鬱のようになって、身内の葬儀、結婚式等にも、参加できませんでした。また、職場や職場の同僚のイベントに、関わらなくなりました。変化に気づいてあげれなった先輩は、死にました。